今日は3月11日らしい
こういう言い回しで多くの人がどういう内容か想像のつく日付はいくつかある気がする。9月11日とか8月15日とか。
私にとってはなにか東の方が大変そうだなというただそれだけの記憶だったけれど、それでもあの日のことは覚えている。
今日はツイッターを見てそう言えばと思い出した。
私にとっても多くの人にとっても今日は何の変哲も無い1日で、ツイッターがなければ私は思い出さなかったかもしれない。
でも時々ふとした瞬間に思い出す。3月11日に拘らなくたって現在と地続きである事実に触れる。
それがもうすっかり乏しくなってしまったらWW2のように震災は記憶ではなく歴史になってしまうのだと思う。日付と関連付けなくてはいけなくなるのだと思う。
私たちにとってはまだ記憶で、新しい世代にはきっと歴史で。それはきっと阪神淡路が私たちにとっては歴史であるように。
歴史になることは止めることができないけれど出来るだけ記憶として、地続きに今もまだ私たちは震災後を生きているのだということをせめて覚えておきたいと思ったりした。
今日、黙祷を捧げなくたって。
それはそうとして履歴書を書こうと思う。