歪な固定観念の話
一社、面談的なものを受けてきました。めっちゃあけすけに話して、次、面接行こうかと言われました。ありがたい。
で、そこで受けたフィードバックが題名です。
自信がなさそうに見える、ですって!
あー、うわー、さっきちょっと涙出ました。打たれ弱すぎる。
私はどちらかといえばクラスで浮いている子のポジションをやってきました。変、と言われ笑われるタイプ。(いじめを受けたことはありません。)自己主張が激しく、うるさく、そして委員長タイプでした。
だから、私の中高の命題の一つは浮かないこと、でした。
授業でわかる人手をあげて、と言われたらあげたくなるタイプです。でも手をあげて発言するって、なんか超真面目に授業受けてるみたいだし、何回もあげるのは目立つし、ていうかみんな手をあげないから手をあげるだけで目立つし、なんか正解してマウントとってるみたいだし、でも誰もあげないから授業進まないし、さっさと進んで。とかとか思いながら手をあげない子でした。そう。普通に溶け込まないといけないから、そういう、普通の、やる気がないだとか引っ込み思案だとかのふりを、する。
例えば、集合写真の時、後ろに行こうとする(ぶっちゃけ合理的に考えて私はチビなので前だと思うし、真ん中に誰も行こうとしないの時間の無駄だしど真ん中の前でいいよ)
まあ、そんな感じで。
就活中の私は、面接の時、声を抑えめにして、控えめな人間を装って、少しどもりながら、視線をさまよわせて話す。
もちろん、面接練習をろくにしていないだとか、落ちたときの予防線を張っているだとか、そういうところも多分に含んでいるのだけど。
声を張って自信を持っているように話すのが怖いのだ。
それはいつもの“浮いている”自分だから。
平均を演じようとして演じてるのかそういう正確なのかもうわからくなってしまったけど。実際、かなりの臆病という側面も持っているし、演じてるだけではないのだろう。
よくわからない何かを怖がっている。
手をあげない自分を昔から何を怖がっているのだろうと思っていたけど。就活で自信満々で話すのが怖い。
だってそれは幼い頃、変だねと言われてきた自分なんだ。
今でも友達にうるさいと言われる。やたらと声が通る人間なので、実際、うるさいのだけど、(就活でもう10回は声がよく通りますねと言われた)就活になったらしっかり声を張ったほうがいいとか、わけわからん。
私は普通が良かったんだ。
もう今は自分が変であることを肯定的に捉えられるようになったから、いいのだけど、授業で手をあげたいのに、なんだか悪いから手をあげれない自分は変えられる気がしない。
就活で自信ありげに話すのはもう少し頑張ってみたいと思う。